「3月11日は何の日?」
生徒に聞いても答えられない人が多くなりました。
13年前ですから、中学3年生でも記憶にありませんね。
ニュースを良く見ている生徒さんは答えてくれる時があります。
自分の2011年3月11日は、ちょうど長年努めた会社を辞めて、約1週間のバイク旅行に行っていました。
行き先は九州で、行きは高速道路で四国まで行き、四国はいくつかの場所によって、フェリーで九州に入る・・。
本当は鹿児島まで行く予定だったのですが、バイクでの長距離旅行は予想以上に疲れ、熊本に行った時点で帰ろうと思ったのです。
そして、北九州からフェリーで東京の有明まで帰ってきました。
溜まった洗濯物がたくさんあったので、自宅からコインランドリーに乾燥させに行ったタイミングで地震がありました。
その時の風景は今でも良く覚えています。もし予定通りの帰宅であれば、フェリーの上で地震に遭遇していて下船出来なかったかもしれません。
横揺れはとても大きかったけど、大阪出身で阪神大震災の直撃を受けた経験からすると、その時の縦揺れの強烈さと比べるとそこまででは無かったので、近くにいた女性に「大丈夫だと思うから安心して下さい。」と言ったのを鮮明に覚えています。
しかし、外を見ると電柱が見たこと無いほど揺れていました。
乾燥は終わっていたので、洗濯物を取り出して家に帰る途中にナビのテレビに写っていた風景を見て、「これはとてつもない地震だぞ!」と理解しました。
妻に電話をするも電話は通じず・・。
電話は復旧するまで待つしか無い。
自宅は何とも無かったものの、冷蔵庫には食料が無い・・。食料が無くなると困るなと思い、スーパーに行くと長蛇の列・・。
並んで待っていると、横入りして無理やり買おうとする高齢者の方と、前の女性が大喧嘩を始めました。
「こういった時、人間の本性が出るな・・。」そんなことを感じたのも良く覚えています。
結局、山崎のいちごジャムを挟んだ半円型のパンを買うことが出来、自宅に帰りました。
その後も妻に電話は通じず、バイクで妻の会社まで迎えに行きました。
しかし、会社の近くまで行ったものの、電話が通じないのでどうしようもありません。
三軒茶屋のあたりで大量の帰宅難民の人を見て、もしかしたら妻の実家に帰っているかもしれないと思い、そちらに迎いしばらくすると妻と合流出来ました。
その後、3週間後に転職先で仕事を始めるまでの記憶をたどると、ガソリンが給油出来ないので自転車を購入したり、トイレットペーパーを買いに遠くのホームセンターまで自転車で買いに行きました。
その時、コストコの駐車場のスロープが崩れているのを見て、地震の大きさを理解したものです。
https://www.sankei.com/article/20170718-I4BUQBEGTFMR5EI2TXEF3EPSTQ/
※2名の方が亡くなられた崩落事故
あとは募金をしたり、被災地に支援物資を送ったのを覚えています。
その後も日本は数々の自然災害にあっています。
もう段々と感覚が狂ってきて、多少の自然災害では驚かなくなってしまっている日本があるような気がします。
年始の能登地方の震災も、まだまだ復旧はしていません。
日本全体で災害への関心を無くさず、しっかり支援していきたいですね。