一昔前に学生たちの間で「マジ卍」という言葉が流行っていたのをご存知でしょうか。
あらゆる場面で使用されていました。
具体的に意味はないのですが、たとえば「すごい」「やばい」「かっこいい」など感嘆する時に使用されていました。
国語を教えるものとして危惧していることがあります。
それは言語の単純化によって複雑な思考が出来なくなることです。
「マジ卍」や「微妙」という表現は自分自身の中で考えがまとめられない
または、まとめるのが面倒くさい時にするのではないでしょうか。
心の中で考えがまとまらない
それは深刻な問題だと思います。
より多くの言葉に接し、調べ、吟味し、言語能力を豊かにしていくこと
それは文学的なマターではなく
考えて生き抜くためのマターだと思うのです。
本当に子供たちは頑張りますね!
この暑い中、歩いてくる子もいます。
教室としても、しっかり対応したいと思います。
生徒が学習している時、非常に大切なことがあります。
「ここわかる?」
子供たちは静かに学習していますが、頭の中では「?」がふわふわしています。
もっと言いますと、頭の中に「?」があることに気付いていません。
そして、尋ねられて初めて「わからない」ことに気付くのです。
もちろん全員ではありませんよ・・・
私たちは教室を巡回しながら、生徒に発問をします。
そうすることによって、より効果的な学習につながるのです。
本日の生徒の「はてな」
川柳と狂歌、円安と円高、需要供給曲線、欽定憲法、ジュール、ワット、水酸化物イオン などなど
いかがでしょうか。
中学生はこんなに難しいことを学習しているのです。
是非ご家庭でも応援してあげてくださいね!
私たちは入試問題などを解くとき、常に解説を考えながら解きます。
それ故に少々、時間がかかります。
中でも一番時間がかかるのが国語です。
よく誤解されがちですが、国語には明快な答えがあります。
特に論説文は、よく読み込まないと解説ができません。
しかし、一度コツをつかむと国語は楽しい科目です。
そういうテクニックを夏期講習で国語を学習している生徒に伝えております。
一番のコツは、問題文をよく読むことです。
本文ではありません。
よく見かける光景ですが、生徒は問題文をよく読まずに本文をずっと探しています。
何を探しているのかも明確でないまま、いくら本文を読んでも正解はでてきません。
また、抜き出し問題ですと、字数指定がありますよね。たとえば7字を抜き出す際、何を探しているのかすら曖昧なまま、とにかく7字のものを探し続けます。
そして当てはめてみると、全く意味が通らない文が出来上がります。
当たり前のことを当たり前にできるようにすることが仕事です。
それは社会人になったとき、とても大切なことですよね。
ちょうと忠生中学校の2年生は第一次世界大戦中の物語をやっています。ドイツ軍とイギリス軍の塹壕での戦いが、切なくも温かく描かれています。歴史も伝えながら、豊かな学習になることも狙いの一つです。
ちなみに最近、私は理科のイオンを復習してます。ポジティブイオン、かっこいい響きですね。
1学期が終わり、生徒から成績表のコピーをいただいてます。
結構上がったな!というのが正直な感想です。
9教科の合計が31だった生徒が37まで上がったのは驚きました。
この生徒の換算内申は46から54まで跳ね上がったことになります。
これが最終的な内申なら、本番の入試で212点から249点に変わります。
最初から+37点の状態で試験に臨めるのです。
また、素点が6上がったのに対して換算内申が8しか上がっていないのは、
ほぼ上がったのは主要5科目ということになります。(実技科目は2倍で計算するので)
成績表を受け取りましたら、一人ひとりと話をしています。
話す内容は「観点別評価」の部分です。
AABBで「4」AABBで「3」、細かく点数化されているので、このような違いは出てきます。
しかし、その教科が限りなく「4」に近いことは確かです。
また関心意欲がBになっている生徒は2か3になります。
逆に関心意欲がAならば、点数が悪くても3が取れることもあります。
一人ずつ、状況に応じてお話ししております。
この時期は成績が上がります。
本当に下がるのは「2学期の中間テスト」の点数です。
その点をしっかり伝え、備えてほしいと思います。
私たち大人もSNSで不快な思いをした経験があるのではないでしょうか。
例えば、いつまでも「既読」にならない。相手の事情もわからず「軽視されている」と勝手に思い込んだりした経験はございませんか?
また、いつまでたっても返信がない。相手の事情もわからず「無視されている」とか。 これは「疑心暗鬼」なのだと思います。 加えて、知りたくもない家庭事情の投稿や関心のない動画が送られてくるとか。一方的に受け身になってしまうなんてこともありますよね。
そして学校という場ではまさに「SNS」が横行しています。いじめやストレス、犯罪の温床になるので専門家が学校に「正しいSNSの活用方法」を講義にくることもあります。 もちろん、悪いことばかりではありません。「情報伝達手段」として速く、便利なのです。 利便性の背後には必ず副作用のように危険性が潜んでいます。ちょうど高度経済成長期に公害問題が起きたように。。。
高校生になったら、まっさきにクラスのLINEグループに入り自己紹介や挨拶をするなんて普通です。また中学校でも部活の連絡手段に使われたり、ひどいところですと学校の教師と生徒がLINEをしています。
塾業界には暗黙のルールがあります。それは「絶対に生徒と個人的な繋がりを持たない」ことです。それが守られていない場所は絶対に危険です。
最近の若い大学生の先生ですと平気でメールアドレスを教えます。LINEでつながることもあるでしょう。まったくリスク管理が甘いとしか言いようがありません。以前、優秀な講師がこんなたとえ話をしていました。「もしも生徒から深夜に、死にたいと連絡を受けたらどう対処し、何か起きた場合、だれが責任を負うのか」 極論を述べることによってリスクに対して警鐘を鳴らしていたのです。
小学生、中学生はまだまだ経験不足です。だから大人が管理しなければいけない面もありますし大人だって教師だろうが信用していいのでしょうか?
じんわりと私たちには「懸念」があるのに「打開策」が見つけられないのが現状です。
ですが、もっとシンプルに考えたいものです。 学校でも塾でもスマホ禁止、以上です。 優先順位は「対話」「電話」「手紙」「メール」なのです。相手は保護者です。
時代遅れと言われようと、それは普遍的なコミュニケーションセオリーで「疑心暗鬼」や「誤解」を生まない最善策だと思うのです。